認められたいという欲求

どうも、ななくさです

 

「認められる」と嬉しいよね

おそらく、ほとんどの方が同意してくれるはず

認められたらやる気が出るし、その後の活動にも前向きな効力を発揮してくると思う

 

しかし、この「認められる」ことばかり求めて活動してしまうと、相手の承認を満たすことばかり気にしてしまい、挙句の果てには「自分は何がしたいのか」が分からなくなる

いわゆる承認欲求である

「嫌われる勇気」(アドラー思想について少年と哲人の対話を通じて分かりやすく語られている著作)という本には、「この承認欲求を満たすことばかり考え、他者の評価を気にしていると最終的には他者の人生を生きることになる」と述べられている

そう、アドラー思想では承認欲求を全面的に否定している

自分も他人から認められることばかり求めて、他人の評価を己の主軸として生きていくのは違うと思う

 

しかし、、!

人間っていうのは弱い生き物で、承認欲求を全く満たさないことはできないと思う

例えば、YouTuber

自分はたまにYouTuberの方々の動画を拝見させていただいてるのだが、動画内で某YouTuberが視聴者からの高評価や絶賛コメントが自分たちの活動の源になっていると語っていた

自らを炎上させて動画の再生回数を稼ぎ、低評価が罵倒コメントなぞ気にしないというYouTuberもいるとは思うが、そのようなYouTuberはごく僅かだと思うのだ

ブログを書いている人だってそうだと思う

最近自分のテイストを変えて、またブログを更新し始めたがアクセスが圧倒的に増えた

コメントやいいねみたいなものをいただいているわけではないが、アクセスが増えたおかげでみなさんから認められているという感覚を持ててブログを更新しようかなって思える

まあ本当に認められているかは見てくれた人に直接聞かないことには分からないが、、、自分が前向きに捉えすぎているだけかもしれない笑

いずれにしろ、人から「認められたい」という欲求は誰しも持っているんじゃないってこと

 

ここで自分の持論

「他者から褒められたい・認めれらたいという欲求は無理に抑えなくていい」

人の欲求って無理に抑えようとしたって、逆効果だと思うの

ダイエット中って食べちゃだめって分かってても食べちゃうし、授業中寝ちゃダメって分かってても物凄い睡魔が襲ってきて結局寝ちゃうし、、、

人間そんなもんじゃない?

 

だからといって、他者から認められたいということばかり気にしては生きろと言いたいわけではない

ようはバランスだと思う

「あれ?今俺承認欲求凄まじくなってね?」ってしっかり気づいて、自分はどうしたいのか・どうすべきなのかをもう一度自分に問いかけてみたら良いかもね

 

今日はここまで!

もし「嫌われる勇気」気になった方いたら過去のブログで紹介しているので、良かったら覗いてね

それじゃまた今度